2020年10月4日日曜日

『星の大地に降る涙』


 『星の大地に降る涙』

作・演出 岸谷五朗  地球ゴージャス25周年祝祭公演

2020年3月  舞浜アンフィシアター


今年、春に行われたこの公演をLIVEで観ることができた人は、なんと幸運な人だろう。私も1度は公演中止で払い戻しをしたが、その後、僅か7日間の開催となった上演を鑑賞する機会を得た。

全編を通して目を引き付けるのは、紛れもなく類まれな身体・容姿・気質・才能をもつ新田真剣佑である。そして、この若者の才能を引き出すべく場を固めるのは演出家 岸谷五朗と、舞台でその人間味を深めた寺脇康文である。この作品は約10年前に主演三浦春馬と木村佳乃によって演じられた。アンフィニシアターは半円状の舞台が特徴で、どこからも常に中心に位置する新田真剣佑が見られ、彼の身体的な魅力を満喫することができる。3人以外のキャストについても笹本玲奈(歌声が素晴らしい)、森公美子(全てのスケールが大きい)、湖月わたる(綺麗)など、どこをとってもクリームいっぱいのどら焼きのように、はずすところがない。しかし、1つ残念な点は「ストーリー」。それは地球ゴージャスファンからすると「このキャストでそんなことは求めるほうがおかしい」と言われそうだが、恐らく岸谷さん自身も感知していると思われ、敢えて私のような文学畑のファンから言わせていただくと《記憶が戻ったシャチが善なのか悪なのか》が曖昧で分からない。また、新田真剣佑を主演にするなら作品の深みを求める必要がある。身体・センス・美貌と全てが頂上に達している彼の伸び代は才能と気質にあり、そこがこれからの真剣佑の真価となるだろう。

新型コロナウィルスで貴重な公演となったこの作品、ブルーレイやDVDが発売されているので是非、鑑賞をお勧めしたい。

2020年10月3日土曜日

『ファウスト』と『ファウストの劫罰』


 

  『ファウスト』はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲で、『ファウストの劫罰』はエクトル・ベルリオーズの歌曲である。『ファウスト』では、悪魔に心を売る人間が描かれる。しかしこの作品の最も不思議な点は、悪魔が人間的な魅力を備えていることである。ゲーテが尊敬したシェイクスピアの『真夏の夜の夢』のパックのように、ファウスト博士の傍を雀のように飛び回る悪魔メフィストフェレスは人間臭さに溢れ、作品を悲喜劇に仕立てあげている。

  悪魔メフィストフェレスが極上の魅力で世界中を圧巻させたのは、2008年11月METで上演されたロベール・ルパージュ演出によるオペラでのことである。メフィストフェレスを演じたのはジョン・レリエであった。ルパージュの演出に100%マッチしたレリエは、世界中の女性たちを虜にする魅力を存分に見せた。歌って踊る悪魔が「見ただけで人を幸せへと招く存在」というパラドクスを、私たちはどう解釈したらよいのだろう。

(詳細を細かく書いている方がいますのでこちらへ https://applause.at.webry.info/200812/article_3.html

  ここまで言っておきながら現在この上演を見ることは難しいが、最近、夜間にMETオペラを無料配信するサイトがあるようだ。5月に1度配信されたらしいが、再び、『ファウストの劫罰』が配信されることを願いながら、スケジュールを確認して見ていただきたい。

https://www.metopera.org/


(画像:『ファウスト』(一)、(二) ゲーテ 高橋義孝訳  新潮社1967年)

2020年10月2日金曜日

『椿姫 LA TRAVIATA』

作曲 ジュゼッペ・ヴェルディ  原作 アレクサンドル・デュマ・フィス

演出 鈴木忠志    2009年12月 グランシップ(静岡芸術劇場)



  『椿姫』という作品は、デュマ・フィスの数少ない作品のなかの最高作であり、フランス文学の珠玉の傑作である。この作品は様々な形で上演され、オペラ作品としては多作のヴェルディが創作を行っている。

  書籍はもちろん、映画や演劇、オペラの上演で何度も見てきたが、『椿姫』が「まさかこのような形で上演されるなんて」――― パンフレットとチケットを手にしたときには思いもよらなかった演出が、そこにはあった。

  舞台の右端には、ヴェルディが机に向かい悩みながら作品を作り上げる姿が実在していた。その上、このヴェルディは青年貴族のアルフレッドを兼ねている。『椿姫』を幻想として作り上げるヴェルディは、現代の裏社会にスクロールして「世紀の悲恋物語」をマフィアアクションドラマに仕上げる。舞踏会は、金森譲氏振付のクラブ&コンテンポラリーで、見るものを全く別世界に誘う。こんなとてつもない演出ではあるが、終盤になるとヴィオレッタの悲恋は日本的な風景の中で哀愁を極め、正規の物語の枠に戻ってくる。

  「これねえ、ストーリーは一時代前の日本人好みの純愛物語で、ばかばかしいんですが、なんといってもヴェルディの曲がいいし、こんなたわいもない話をもとにして、こんな音楽をつくったヴェルディという人の集中力の異常さに興味をそそられる」(当日用プログラムより抜粋)と鈴木忠志氏は語る。『椿姫』を「ばかばかしい話」と気構えずに演出できるのはこの演出家以外にはおらず、尚しかし、私は鈴木氏の演出作品のなかで、この作品がもっともお気に入りなのである。SPACの周年事業で実施されたため再演は難しいと思われるが、SCOTサマーシーズンのたびに『椿姫』を期待してしまう私がいる。

2020年10月1日木曜日

『愛』

ジュール・ミシュレ  森井真訳  中公公論社1981年

  最初にジュール・ミシュレの『愛』を紹介したいと思う。歴史家のミシュレが愛を俯瞰して、神の目線から書いた作品ではないかと想像する。この作品は、現代では読むのが苦しい。なぜなら「男に守られ、食わせてもらうかわりに、女は愛をもって男を養うのである」という一文が表すように、この作品そのものが時代錯誤だからである。さらには「《女とは何か。それは病気である》(ヒッポクラテス)-男とは何か。それは医者である」という言葉は、実に見事に的をついたものであるが、現代は女性にとって医者になりうる男は皆無の状態ではないだろうか。そして、この表現でいうなら現代は、女医のほうが多いように感じる。

  ここまでで察していただけるのではないかと思われるが、この作品は「守るべきか弱い女性」と「守るものを得た強き男性」を生物学・社会学の角度から、微細に分析している。その全てを《愛》という言葉を用いて、甘く優しく語っているのである。歴史家には「原物」を見る目があるが、ここにはミシュレが見つけた「女性の原物」が溢れている。

  「若者よ、私が書いていることを、独りだけでちゃんと読みなさい」と筆者が伝えているように、結婚を目前にした男性にはお勧めである。ミシュレの視点で女性を考えることで、納得できる彼女の言動がきっとあるはず …… どうか神の祝福あれ。





2020年8月31日月曜日

ごあいさつ

様々な分野の芸術作品をご紹介します。

私分析や私評論も載せますが、ここでご紹介する作品は評価するべきと考える秀作の数々です。